変化の種

Shoichi Uchinamiのブログ

イマーシブシアターで人間の本気に触れる –– ego:pression 新作「リメンバー・ユー」

先日、11/14から上演が始まるダンスパフォーマンス団体 ego:pression による新作イマーシブシアター「リメンバー・ユー」のプレ公演を体験する幸運にあずかれた。
彼らのイマーシブシアター公演は、昨年行われた初めての上演でその魅力に取り憑かれ、以来追いかけている。
以前から彼らの公演を好きになった理由を少し考えていて、このブログの最初の記事にちょうどいいな、と思ったのであらためて文章にまとめることにした。

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ego:pression新作「リメンバー・ユー」

イマーシブシアターとは

色々な説明があるが、僕の簡単な理解では「客席のない劇場空間で、観客がその劇自体に没入(=immersive)する体験」が得られるような公演作品をイマーシブシアターだと認識している
今回の公演は、ある民家を舞台に、ダンサーである演者達が自ら振り付けたダンスと演技でストーリーを紡ぎ出していく中、観客である我々がその中を自由に歩き回り、様々な体験をすることができるものだ。
今は様々な団体やメディアで紹介されているので、気になった人は調べてみて欲しい。
 

事前のエクスキューズ

イマーシブシアターと呼ばれるものの範囲は広く、今回紹介する彼らのスタイルはその中の一つの形だ。
ダンスが大きな魅力の作品だが、団体によっては演劇をメインにした公演もあれば、もっと違う形で没入を楽しませることを目的とした公演もあったり、様々な形のイマーシブシアターが存在するようなので、これを読んで「『イマーシブ』っていうのはこういうものなんだな」とは判断しないで欲しいことと、
彼らの今回の公演に限っても、僕が体験して受け取ったものは、貴方が体験し受け取るものと決して同じものにはならないため、「『リメンバー・ユー』という公演はそういうものなんだな」とも思ってもらいたくない。
僕の楽しみ方は、この公演が持つ多様な魅力の一つの側面でしかないからだ
ストーリーの謎を解くことに楽しさを覚えたり、普段見られない距離と角度から観劇できることに喜びを感じたり、舞台に没入する感覚に感動したり、様々な楽しみ方があり、さらにその複数を同時に味わう人もいれば、一つに集中する人もいたりする。
そんな中でこの記事は、僕という一人の個人が感じるものに過ぎず、しかも他の方々の感想を見る限り、どちらかというと少数派の楽しみ方な気もする。
そういうこともあり、本当はまだ観ていない人達に対して、「こうした方がいい」とか「こう観た方がいい」とか「観るとこうなるから、こうしておいた方がいい」とか、色々と言いたくなることがたくさんあるのだが、それらはこれから体験する人にとって役に立たないどころか、その人の貴重な体験を僕個人の認識の範囲内に留めようとする作用しか及ぼさない気がするため書かないでおく。
 

ヒトの本気

人間の生(ナマ)のパフォーマンスを間近で味わうのが好きだ。
幼少の頃はおろか、20代の頃でもそんな体験をした記憶がないので、決して昔からというわけではない。ある時、優れたパフォーマンスに出会い、色々な音源を聴いて好きになったそのジャンルの偉大なアーティスト達が、ことごとく他界していてライブでは彼らのプレーを味わうことができないことに気づいてから、今後同じ後悔をしないように、少しでも良いと思ったものには積極的に足を運ぶようになった。
 
友人に誘われて行った世界的なジャズプレイヤーのライブで感動した際、この感動はプロによる優れたテクニックによる恩恵なんだろうな、と思っていたが、同じように世界的に評価される他のアーティストの公演でそこまで心が動かないものがあったり、逆にアマチュアのダンス公演で似た心の動きを感じた時があり、自分が生で触れた時に好きだと感じるものは、単に磨かれた高い技術だけではなく、それ以外の何か別の要素も重要なんだな、とうっすらと考えていた。
 
そんな中、はじめてのイマーシブシアターを ego:pression の公演で体験し、それまで味わったことのないような感動で深く心を打たれた。
もちろん、ジャンルが全く異なるため比較することは出来ないが、彼らのパフォーマンスの純粋なテクニックが、僕が以前感動した世界的に活躍するアーティスト達と同じレベルだと言うことは難しいかもしれない。
しかし、狭い部屋の中、たった一人で、僕一人だけが見ている場で、本気で何かを表現しようとしているその姿は、間違いなく何よりも美しいものだと感じられた。
 
例えばバレエのダンサーとしてプロの団体で活躍するには、身体的に恵まれた遺伝子を持った人間が圧倒的に有利だろう。それはおそらく、そうした遺伝子で形作られる体の方が、より多くの人間をより美しいと感じさせることができるからなのだろう。実際、僕自身も、同じテクニックであれば、手足が長いダンサーの踊りの方が美しいと感じることが多いと思う。
ただ、身体の形を決める遺伝子は偶然に支配されているものであり、そのような偶然によって作られた美を楽しみたいのであれば、人間のパフォーマンスに頼る必要はなく、例えば雪の結晶のような、自然界に存在する様々な美を見つけることでもいいはずだ。
人間の作り出すものを味わうのであれば、僕はやはり人間にしか生み出せないものにこそより集中したいと思う。
僕にとってのそれとは、自らに与られた条件の中で、自らが決めた目指すべき方向へ向かって最善を尽くし歩み続けるという意思であり、彼らのイマーシブ公演では、それを強く感じることができたのだ。
 
演者に手どころか「息」で触れられるような距離にいるにも関わらず、コミュニケーションはおろか、目と目が合うことすらなく、徹底的にそこにいないものとして扱われながら、一方で間違いなく「この人は僕に向かって表現しているのだ」という確信。
物語の中の登場人物として、そのキャラクターにとって大切な意思を持った振る舞いをしつつ、同時にその物語とは全く異なる次元で、踊り手として観ている人間に対して何かを伝えるという意思を持ったダンス表現が行われているという、今まで経験したことのなかったような強い人間の意思を二重に感じる不思議な感覚。
 
イマーシブシアターという観客を別の世界に没入させてくれる仕組みを使い、何かを生み出そうとする本気の意思を持って、考え、練習を重ね、作品を届ける彼らの姿が、普段あまり意思らしき意思を持って生きていると言えない自分に少しだけ火をつけてくれる。
もしかするとそれが欲しくて何度も彼らの公演に足を運んでしまうのかもしれない。
 

最後に

繰り返しになるが、この公演を体験していない人に対しては何もアドバイスはしないし、なんだったら「体験して欲しい」という言葉すらも何かの縛りになってしまいそうなので伏せておく。
しかし「観終わった貴方」に対してであれば、一つアドバイスできることがある。
貴方はきっと、貴方の周りにいる、まだイマーシブシアターを体験していない友人に、この公演を薦めたいと思うだろう。
だが忘れてはいけないのは、貴方が味わった体験は、貴方だけのものである、ということだ。
例え貴方の観劇時と寸分違わぬ形で舞台を動き回ったとしても、今の貴方自身を含め、この世界の誰一人として、その時貴方が受けた感覚を味わうことはできない。
出来ることはただ一つ。自分が味わった感覚を言葉にして外に出すこと。
もしそれを知ることができれば、僕もまた一つ新しい楽しみ方の視点を手に入れられるので、是非そうしてくれると嬉しい。
ただし、謎を楽しむタイプの人もいるので、ネタバレにはご注意を。